感覚波を直接伝える | 因果倶時

感覚波を直接伝える

最近、
海外の人たちとやり取りをするようになり、
まさにリアルタイムでSkypeなどを使いながらプロジェクトを進めるようになっている。

これは非常に便利で、
しかも無料ということで、
ちょっと昔には考えられないような技術進歩の恩恵をこうむっている。

ただ、
そこで一見密な会話を重ねれば重ねるほどに、
むしろお互いの波長のズレのようなものが強く炙りだされていく、
という面白い現象がおきている。


自分が昔商社にいたときは、
頻繁に電話とメールをつかってコミュニケーションを図っていたが、
こういうズレというのは、
そのときには殆ど感じなかったようなもの。


今、
茂木健一郎さんの「疾走する精神」を読んでいて、少しその考え方にはまっているのですが、
面白いと思った話の中に、
均質化、グローバライゼーションが進めば進むほどに、
むしろ世界は世界の圧倒的・絶対的な多様性に気づかされていく、
というようなくだりがありました。


まさにそれに近い。


そういう多様性の中で何が重要になるかといえば、
それは感情の波のようなもの、というような話でした。


自分もまさにそれを思います。


お互いが国境を超えて、
テキストだけであたかもリアルタイムにそこにいるかのようなコネクションを維持できるようになった今、
目的もないまま無駄に会う必要はなくなりつつありますが、
ある一定の頻度ではむしろちゃんと会って、
直接感情波をやりとりしながらコミュニケーションをし、
ズレそうになっている部分を無意識に修正しあう、補正しあう、ということをしなければ、
逆にお互いに絶対的に理解し合えない部分への意識ばかりがクローズアップされていき、
コミュニケーションが破綻しかねない。


そのように思います。


特に一番最初のスタートラインはそう。
相当密接にコミュニケーションをしなければいけない。
少し無駄じゃないかと思うくらい念入りに会話をしたほうがよい。


ましてそれが、
外国、外人であればなお更。時差があるだけでも、意識は違ってくる。
こちらにしてみればもう散々仕事をして煮詰まった後だとしても、
向こうはまだ起きたばかりだったりする。


なんか、
そういう当たり前のことを、
最近になってまた気づかされています。