単純な事実 | 因果倶時

単純な事実

先日関西にもどって、
いつものことだけど、
「関西遅れてるなー、ますます東京との差が広がってきたなー」
と感じていたんですが、
実際に関西にいる人たちと話をしていると、
当のそこにいる人たちは、
驚くほどに大してそうも感じていない。

正直、
近くにあるのが、
北陸や四国や中国地方だから、
まだまだ有力な盟主気取りでいるんじゃないかという気がしました。

たとえば、
自分もそうだけど、
東京にずっといると、
東京があたかも世界の中心のように思えてくるが、
上海なんかに少し足を伸ばせば、
今そこが世界の中心であり、
相対的に日本がどんどんと後退していて危機的な状況に陥りつつあるのが如実にわかる。

つまり、
どこにいようと何をしていようと、
何かを一生懸命目指していく中で、
ちゃんと周りとの距離感を意識し、実感するということをしないと、
いつでも簡単に人はゆで蛙になってしまう。

関西にしばらくいないから、それによって関西の現状に気づくのと同じで、
ゆで蛙にならないためには、
自分の状態を客観的に捉えなおすために、
少し距離を置いて、極端な話、しばらく何もせずにただじっと眺めてみたり、
まったく別のことをすることも大事だ。
そういうことを繰り返さないとなかなか難しい。

これをチームに置き換えてみると、
リーダーの仕事はまさにこの部分。

リーダーはなぜ全体が見えるかといえば、
それは現場の仕事をせずに俯瞰するのが仕事だからに他ならない。

幹部が、
現場と同じ目線でその場その場で暗礁を回避するための舵を回すことの大変さに目を奪われていては、
いくらそのチームの力量のすばらしさを盛り上げたところで、
どんどん袋小路に入り込んでしまってその先に避けようのない巨大な氷山が浮かんでいることに誰も気づけない。
氷山が浮かんでいるという単純で圧倒的な事実に対して回答を用意するのが幹部の仕事。

えてして、
外から見るとものすごく単純に見えていて、
どう考えても合理性のないことが、
内部的にはえらく大変なものや価値がありそうなこととして取り扱われていたりするのも、
殆どはこの辺の話なんじゃないかと思う。

武田信玄が一人一人の騎馬兵を鬼のように訓練して戦国最強の強兵にていったが、
織田信長はそんなことをせずに弱兵を金で雇い、無数の鉄砲をもたせてしまった。
ある程度領土が安定したら一気に京都に向かって天下の実権を押さえてしまった。

あとから見れば当然のように思えることも、
武田信玄から見ればまるで想像もしなかったことに違いない。

しかし武田信玄は戦国時代の甲斐の山奥。とれる情報量にもおのずと限界があったと思う。

この情報化社会、
武田信玄にならないようにしなければと思います。