Google Buzz騒ぎに思う、ビジョンの大切さ | 因果倶時

Google Buzz騒ぎに思う、ビジョンの大切さ

先日Google Buzzがリリースされ、ひとしきり話題に。

賛否両論うずまいていますが、
主な論点は、
『果たしてGoogle BuzzはTwitterに勝てるのか?』
的なものだと思います。

自分は、
このサービスが話題になったときから真っ先に思ったのが、
『なんでGoogleが彼らのビジョンと一見関係のなさそうなサービスをリリースしたのか?』
という点でした。

Twitterの後追いサービスのようなものを仮にリリースしたのだとすれば、
Google帝国もついに退潮の兆しか・・・?とも思いましたが、
いままでの流れからすれば、
組織カルチャーとして、
そんな安易なことは絶対にやらないはず。
グーグルのビジョナリーたちの試験をかいくぐって外に生まれ出てきたこのサービスには、
グーグルならではの何か意味があるはず。

というわけで、どういうことなのか非常に興味をもっていましたが、
この説明を読んで自分なりに合点がいきました。
Google makes mobile more social with Google Buzz


Googleは検索というワールドにいる。
彼らのビジョンは、"make everything searchable - 全てのものを検索可能に"。

上記のページから読み取れるのは、
彼らはBuzzをつかってリアル世界に既にあること、そしてこれからおこることを、
すべて場所・時間・人情報と一緒にリアルタイムに検索DB化していくためのプラットフォームを創ろうとしている。
そういう風に自分は感じました。

それはある意味、
make everything searchable から、make the future searchable というような、大きな進化への一歩という気もします。


結論として、
Buzzというサービス自体がどこまで流行るかどうかは分かりませんが、
彼らがこのサービスをなんとなくやってみて、なんとなく運営する、ということはないだろうとは、なんとなく想像できます。
成功・失敗に関わらず、彼らが目指す究極の検索サービスの実現に向けた何かのFeedbackを彼らは得ると思う。

いくらなんでも、あのグーグルが、あそこがうまく行ってるからうちもソーシャルやってみたい!
みたいなバカな会社じゃないだろう。



このことから改めて自分が思ったのは、
やっぱり、
意味のあるビジョンを持つことが極めて大切であるということ。

この、
情報があふれている時代、
そして何よりも、
別に一生懸命働かなくても一定水準の生活が可能である時代、
つまり怠けていても実は全然かまわない豊かな時代に、
ビジョンを持たなければ何の進化もできないこと、
を改めて感じます。

ビジョンとは、
社会に対してどういうValueを発揮したいのか、ということであり、
古く言えば、大義名分のこと。

これがあるから人間は改めて自分の気力を奮い、
その実現に向けて一目散に努力し、
社会の中で自分が価値を発揮できていることに満足を感じる。

逆にビジョンがなければあふれる情報に惑わされ、
中途半端に右往左往するかぼんやりしているしかない。

自分の内面を見つめ、社会の大きなうねりやニーズを考え、
そこからビジョンを設定し、
それに対して必要なものを収集していく、
というアプローチでなければ、
やるべきことは常に曖昧で、関心外のことにならざるを得ない。



自分は現在、株式会社リサーチパネルエイジアというチームの中で、
Empower People、Empower Asia
というビジョンを掲げてやっている。

うちのメンバーには、
このビジョンが持つ意味、なぜそういうビジョンに達したのかということを、
必ず最初に説明し、共感してもらっている。
できるできないや個人のスキルは関係ない。
まずこのビジョンに共感できて初めて一緒に共通のゴールに向かって仕事ができると思っている。
なぜならビジョンはゴールそのものだから。
しかも永遠に「達成した」ということにはならない厄介なゴールなのですが。

全ての事業、全ての行動が、
このビジョンの達成に向けた着実な進化に寄与するものとして設定され、
それに向けた大きな流れを皆が実感と満足をもって感じられるような組織にするべく、
微力ながら自分の精一杯の力で頑張りたいと思う。


久しぶりにブログを書いたら、
またダラダラと長くなってしまった。