数字を読みきる | 因果倶時

数字を読みきる

今、
事業責任者とは何か?
という議論が社内で行われている。

事業責任者たるもの、
こうあるべきである、
という議論です。


このテーマについてはいろんな人で意見が分かれるところがあり、
それ自体おもしろいのですが、
そもそも論でいうとものすごくシンプルな話があり、
事業責任者であるならば、
事業を運営して利益を出さなければいけない。

ベンチャーであれば、
新規の事業に果敢にチャレンジして会社に物理的に貢献しなければならない。

そのことが、
目線として抜け落ちていてはどうしようもないんじゃないのか?
ということを僕からは前回意見しました。


この、当たり前(?)の原点に立ち返ってみると、
特に海外の事業家達を、
具体的な競争相手として捉えなければいけないということを自分は特に思います。

たとえばSteve Jobsのような人間がいて、
確かにすごい。魅力的だし、事業もプロダクトもすごいし、正直圧倒される思いです。

でも、
それに圧倒されていてはダメで、
やっぱり事業として考えれば一人の起業家であり、
競争相手なわけです。

なんか、
対岸の火事のような感覚で海外で起こっていることを見がちですが、
本気で彼が自分達の事業をつぶしにきたら、
あらゆる戦略・戦術を駆使して、戦って、勝たなければいけない。

そういうことも
もっとリアルに想像していく必要があると自分は思います。


ですが、
事業責任者ではなく、
「マネージャーとはどうあるべきか?」
という観点で議論が進みがちなため、
そうすると、
背中を見せる、信頼を得る、部下の成長を、
ということが議論の主なテーマになっていき、
確かにそれらは重要なんですが、
そもそも論でもっと自分達自身が責任を負うべき最重要なテーマを軽視していてはだめよ、と思います。
自分達は最前線から引退でもしたつもりなのか?と。


で、そういうことを考えていてやはりいくらなんでもこれはダメでしょう、と思うのは、
予算会議とかでPLに数字を入れてこない、
というもの。


事業というのはどこまでいっても最後はバクチであり、勝負であり、ガチガチの戦闘。
決まっていないことや予測できないことが山のようにある。
嫌になるぐらい。

石田三成が徳川家康に挑んだとき、
彼はたかだか十数万石の単なる豊臣家の家臣だったわけですから、ものすごい強烈な思いで家康に挑んだと思います。
しかし彼は彼なりに必死の思いで仲間を集め、関が原で一世一代の大勝負を展開し、家康を追い詰めた。
それでも、最後はあらゆる味方から裏切られ、敗北し、首を切られた。

彼は敗北したし、彼の評判は一般的にはマイナスだと思いますが、こんなすごい勝負が出来る人間はそうそういないと思います。普通は家康に従うか何も出来ずに悶々としてるでしょう。

彼も最後戦闘が始まったときは、何も読めなかったと思います。
でも勝負に出て、負けました。彼なりに読みきった。それが事業責任者ではないかと思う。


話が急に小さくなるのですが、
PLに数字を入れてこないというのは、
自分から言わせればそれは単に責任回避に過ぎない。
殆どの場合なぜ数字が入っていないかといえば、
「データが出てきていないから」「メンバーから数字が出てきていないから」
が理由になります。

おいおい!っと自分で思わないとダメです。
データがなくたって大体予測できてるでしょう?と。
予測できてなくても、最悪自分の感覚でここだ!、と思ったところで数字を張る。
具体的なデータがなくても周辺数字、そのトレンドぐらいは見えているはず。
それを元に精一杯の仮説を駆使して、数字を自分で計算して、はじき出す。
それが責任者たる人間が最低限できるべきことであり、腹をくくるべきところであり、
それが出来なければ永遠に事業運営が具体的なデータなしではできないことになります。
わからないことを、わかりませんと言ってるだけでは駄目。
であればその責任者は要らないので、直接その部下の人たちがPLを作ればいいことになる。


事業責任者、の人たち、
そして、
自分でも事業をやってみたい人たち、
は、
そういう、
精神的な意味ではなく、
リアルな間接要素を元に事業の数字としての「腹をククル」「読みきる」、
という部分も必要だと思ったので、
久しぶりにブログっときます。