事業目線、とか | 因果倶時

事業目線、とか

インターネットの世界において、
web2.0以降の潮流として既に明らかになっていることが、
徹底的にサービスにこだわり、ユーザー目線にこだわることが、
事業としても圧倒的な差を生む、
ということだと思う。

あらゆるビジョナリーな人たちが、
超安価に時間と距離の壁を崩壊させる情報流通システムとしてのインターネットに着目し、
素晴らしくオープンでフェアなシステムを構築することに注力し、
それが圧倒的な形で世界中に受け入れられてきた結果、
これは既に明白な事実、ルールとして目の前に突きつけられていることだと自分は思っていますが、
それでも尚、
「サービスにばかりこだわるのだけでなく事業目線も」
「ユーザー目線だけじゃない」
という観点の話をする人もいます。

そういうときに見据えられている、
一見もっともに聞こえる「事業目線」は
どこを向いた話なのか、いまいちピンとこないものが多い。
規模も小さい。

結局、自分の印象では、
サービスにこだわりきれないがためにイマイチサービスが離陸しない人の言い訳」
にしか聞こえません。

もっと言えば、
サービスにこだわりきれないのは、
そもそもそのサービスに対してこだわりがないからじゃないかと思います。

実際、
事業目線が強調される場合、
本来あるべきユーザー目線での話というのが、
完全に置き忘れられているケースがあまりにも多いように思います。


いま、
ネットメディアは、
大量に効率よく情報を伝播するプラットフォームが整備されてきたことで、
圧倒的にユーザーを集める洗練された目的別サービスと、
そうではない中小サービスや、有象無象のひまつぶしコンテンツの差が際立ってきているように思います。

エッジのないつまらないサービスは、
簡単に情報が比較できるので、
最早まったくユーザーを集められない。

エッジといっても何か特別なことをするのではなく、
ひたすら当たり前の欲求に答え続けていくこと。

人は馬鹿ではないので、
気持ちのあるサービスや商品にはやっぱり反応するし、
そうでないものはすぐに拒絶される。

こういうことを、
理論的には理解していても、
実際には重要視しないようでは、
その事業、サービスの将来性は大したことはないと思います。

高尾山は作れても、
エベレストを作るにはそのアプローチでは絶対無理。

フリではなく、
手段でもなく、
真剣に向き合い、魂を込めて提供できるサービスや商品をやらないと、
どんだけもっともらしい「事業目線」を持っていても、
何の役にも立たないし、何の価値も産まない、とても良い時代になってきていると、自分は思う。

ストイックな事業目線とか、たぶん、要らない。
捨ててしまって未来を見たところに本当に目指すべき事業目線があるはず。
そう考えると、インターネットというインフラは機会平等を体現する、
本当にすばらしいインフラだということをつくづく思う。
この世界の可能性をフル活用して新しい価値を提供することに自分ももっと邁進しよう、邁進しなければ、
と改めて思う。残念ながら、まだまだ全然実現出来てないので。