マネージャー不要論 | 因果倶時

マネージャー不要論

若い会社にいると、
しょっちゅう、
早くマネージャーを目指せ、
的な会話が繰り返され、
マネージャーを目指さないことは何かかっこ悪いことのような概念が自然と出来ている。

しかし自分は全くもってそうは思わない。
それどころか、マネージャーという職種は不要、もしくはいない状態が最適だということを最近思う。

必要なのは、何を実現したいのかという意思を明確にもった少数の行動型の人間のチームであり、
マネジメント、場合によっては経営業務ですら、
それを主業務として行う人間が不要な状況が最高の状況であり、
かつ、これからのサービス開発・商品開発において必要な状況だと思う。
つまり、全員がプロジェクトを進行させるために自己管理することが当たり前、という状態。

ある意味、逆説的に言えば、
マネジメントが必要な状態とは、
メンバーの力量がその程度のものと認識されている状態ということとも言える。
メンバーとしては、常に、
「あんたなんか不要ですよ、自分で出来ますから!」
ということを主張し、証明する必要がある時代じゃないかと。

たまにあるが、
「すごく出来るマネージャー」に感謝してる場合じゃない。
そんな中間コスト要素は蹴っ飛ばさないとダメなんじゃないかと。

世の中は、
あまねくいろいろできますよ、の意味でのジェネラリストの時代ではなく、
専門職の時代。

企業経営やその下の事業経営も、サービス運営も、なにもかもが専門職であり、
専門性の高さこそが世の中に衝撃を与えるような何かを生み出すための源泉。

そして、衝撃を生み出さないようなものをいくつ生み出したとしても、
それは自分達を養うための手段にすぎない。
今度はその手段を維持するための手段を作りだすことに追われてしまう。

面白いのは、
きっと、
それを軽く超えたところに存在するもの。
そこにリーチするのに必要なのは自分自身の創造への想い。

だから、
マネジメントという言葉に立ち戻れば、
他人や組織をうまく管理していくための
マネージャーなんか目指す必要はない。
必要なのは、
自分の意思をまず持ち、そしてそれを実現していくための組織マネジメントスキルだ。

この考え方は、
マネジメントを、
「チームが気持ちよく働く、メンバーの成長を促すためのワーク」
としての意味が第一義と考えがちな方には聞こえが悪いと思うけれど、
本質的にマネジメントとは、意思実現の為にある、と自分は思うので、
そこを勘違いしないようにしたほうが良いということを、最近良く感じる。

この話は、
第一義とその他の意義の順番をどう捉えるかという問題であって、
結果的にやるべきことのラインナップに変化はなさそうですが。


どうだろう。