「誰とやるかではなく、何をやるか」 | 因果倶時

「誰とやるかではなく、何をやるか」

ここのところ、
若手の、
特にやる気のありそうな人から、
「何をやるかではなく誰とやるかだ」
という説をよく見聞きするのですが、
それは、
聞こえはいいけど、
本当にそうだろうか?
と最近気になっています。

どこかで、
本来考えなければいけないものにたいして思考停止している気がしていて、
ある意味、
外部依存型、オッサン的、内向的な思考ではないかなと感じる部分があります。


夢に挑むのであれば、
本質的には二択問題ではないはず。

テーマは、
「何を、誰とやるか」、

つまり、
敢えて二択するなら、
「何を」
が先に来る。

若いうちは、いろいろな人から吸収するために「誰と」働くかはもちろん重要。
でも、正念場にさしかかれば、自分自身が「何を」を決め、場を導いていく必要がある。
そこでは、リアルな利害関係やインタレストの違いが出るので、
個々が本当のパワーを発揮することを理想とするならば、
誰も彼も八方美人のように連れていくわけにはいかない。

そういうことを踏まえたうえでの、
「誰と」
だと思います。

場足によっては、
「誰と」
が伴わなくても進まなければいけないこともあるだろうし、
そもそも、
「何を」
がはっきりしていて初めてやるべきことにドライブがかかり、
周りが手を差し伸べることが出来るものだと思うので、
やはり、
「何を」
は欠かせないものだと思います。