因果倶時 -67ページ目

坊さんバイト

今日もおもろい話を聞いた。

坊さんの生態だ。

坊さんって、まあ今時清廉潔白とまでいかなくても、ある程度、聖職者なんだからつつましい生活を送っているのかなぁと僕なんかは思ってた。

じぇんじぇん違うらしい。

まず第一に、坊さんで妻帯していない人、つまり結婚していない人は、殆どいないんだってさ。
むにゅむにゅ念仏を唱えてチーンとすれば、はいどうもいやいや有難うございます、おかげで成仏しました、といってウン万円、ウン十万円が懐に入る。

若い人はあまり知らない世界だが、たとえば戒名。
戒名って色々段階があって、例えば一番上の○○院という戒名をつけてもらおうと思ったら、寺によって違うが120万円とか取られる。戒名つけるだけで。
坊さんの言い分というのは、昔は○○院をつけてもらうにはお寺を建立したりせんとあかんかった、それを今は金払うだけで日頃信心深くなくても院がもらえるんだから、安いもんだ、という理屈らしい。
一番安い居士とか、そういう戒名だって、数十万円する。

知っての通り、墓もものすごい金がかかる。
うちの近くには寺が沢山あり、墓地も沢山ある。なので、墓を見ればその家の栄枯盛衰がすぐに分かってしまう。多少金があるからといってなまじ立派な広大な墓を立ててしまうと、その子孫は維持が大変だ。結局売っ払ってしまうことになる。
荒れた墓が取り壊されている風景というのは何とも情けないものだ。力のある家ならば、多少金をかけても墓は立派に維持したいと思うだろう。ここに坊主は付け込む。
上野の寛永寺なら、一坪300万円と聞いたことがある。しかもあそこは10坪単位でしか墓地を販売しない=つまり、3000万円から、ということだ。
うちの近辺のそこそこ歴史のある寺でも一坪100万円ぐらいはする。

更になんだかだ、理屈をつけては檀家回りをしてお小遣い稼ぎ。
1本お経を唱えて、どうも有難う御座いました、どうぞどうぞとお昼も勧められ、最後に渡される謝礼は最低5000円が相場だ。

この檀家回りというのには学生バイトがあるらしい。学生といっても要は仏教系の学生なんだけど、寺の住職も物理的に限りがあるから、回りきれない檀家は学生に任せて謝礼集めをさせる。5000円もらってきて2000円が学生の懐に入る仕組みだ。 お経を唱えてもらったほうの檀家では、学生といってもちゃんと法衣を着てくるんだから、本職だか学生だか分からない。「有難う御座いました」ということになる。

こうやって一日100件の檀家を回れば、50万円の収入となる。

毎日カラオケに入り浸っている坊主もいれば、女を抱えて遊んでいる坊主もいくらでもいるそうだ。まあ、そんなのはいいんだけど、神社なんかと比べると、人の死というものを商売にしているお寺は、金銭的には圧倒的に有利な立場にあるんだなぁ、と、つくづく思った。

だからと言って親が死んだときにケチくさい葬式するわけにもいけないし、全く難しいもんだ、こればっかりは。

8GBのUSBメモリ

これならファイルとデータは殆ど格納できるな。
Windowsアプリはどうだろう?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050207-00000005-zdn_pc-sci

地域密着?

近年、マスな仕事が出来にくくなってきてニッチ分野が注目されるにつれ、地域密着という言葉が、一つのブームとなっていると思う。

今日は地元の青少年委員会で主催した地元の歴史探訪歩きツアーに、お義父さんの紹介で参加し、少し見学した。

ツアーは所謂、地元の「名士」とか、地域で活躍している人たちが集まってボランティアとして運営されており、内容はともかく、分かったのはそれが地域のコミュニティ、サロンとして成り立っているということだ。

その地元でずっと育ってきた人たちが、ボランティアとして地域の交流を支えているわけだが、別に犠牲精神でやっているわけではないのが特徴だ。つまり、自分が暮らす地元で、周りの人たちと上手に付き合っていくための必要経費として、ボランティアが成り立っているわけである。

これは、いわゆる自己犠牲としてのボランティアとは大いに違う点であって、実益前提の活動なわけだ。

考えてみると、地域密着とよく言うけれど、その殆どは、所謂サラリーマン層とその主婦・家族、所謂核家族化した人々を対象とした概念がベースになっていることが多い。
しかしながら、自分を振り返っても思うが、自分が住んでいる地元のことを、誰よりも長く深く考えているのは、その地元に直接利益が絡んでいる人なわけだ。サラリーマンがいくら地域に密着しようったって大した密着があるわけじゃない。

一方で核家族化した部外者によるサークルも沢山あるけれども、そういったサークルは本当の意味でその地域に根ざしていないから、普通に考えたら短命だし、中心人物が転勤したらおしまいになる可能性が高い。

話が長くなったけど、要は今日思ったのは、今後インターネットに代表される多様性という言葉が、あらゆる世の中の仕組みの変遷を考える上でのキーワードになるわけで、その一つとして、マスvs地域密着(ニッチ)というのがあるのだけど、本当に永続的な地域密着をやりたければ、こういう、そこに根を下ろして来た人たちを巻き込むことが肝心なんじゃないか?_ってこと。
しかも都合のいいことに、正に今、そういう人たちの従来のコミュニティには若い人たちが参加していないので、存亡の危機に立たされている。若い人たちをある意味バカにしている一方で、コミュニティが消滅して蓄積してきたものが伝承されない、という危機感は絶対あるわけだ。今は彼ら老人達を巻き込む最後のチャンスなわけ(あと10年もしたら戦前と戦後をつないできた人たちが作り、伝承してきた従来の地域コミュニティは消滅している可能性が限りなく高い)。

これはこれからの商売考えるときの一つのテーマとして頭のスミに置いておこうと思った。

ps.今日は○○町青少年委員会の活動だったんだけど、、、最年少で50歳くらいかな。うちのお義父さんは町会の青年部に所属する61歳だし(笑)

下町コント:長屋の住人(1)

妻の実家の近くにはいまどき長屋が沢山ある。
長屋の住人には変な人が沢山いる。
密集しているため、付き合い方も独特だ。
夜、家で夕食を食べていると、突然台所の窓がガラっと開けられ、隣の長屋の住人から差し入れが入ったりする。

今でも忘れられない衝撃的な出来事があった。
4年前のクリスマス、突然大きなケーキが窓から差し入れられた。
「えっ?ケーキ?」
今時クリスマスには大概の家では自分の家でケーキぐらい用意している。
そこに更にケーキの差し入れ?それだけでもセンスの悪さを感じる。
ところが、ケーキを見たら更に驚き。
直径約25cmの大きなスポンジに、白いクリームが塗りたくってあるだけだ。
しかも下手くそ。
小学生のときの俺のほうが余程うまく塗っていた。

事情を聞くと、どうも隣のおばさんが突然ケーキ作りをしたくなり、スポンジはスーパーで買ってきて、クリームだけ作って塗りたくったが、食べられないので、「どうぞ、遠慮せずに召し上がれ~」ということだそうだ。

何しろ、中年夫婦二人の生活なのに、スポンジばかり、3つも買ってきたらしい、、、意味不明だ。
しかも、おい、それ、手作りとも言えないぞ、、、
さらにクリームはバタークリームだった、、、、せめて生クリームにしてくれ。。。

この、普通に考えれば、どう考えても自分達で処理できないガラクタ、ゲテモノを、人に押付けているようにしか見えないこの光景も、一応ここでは、愛すべきご近所付合いと理解されている(笑  というよりアポ?)。

しかし、先日カツオの頭と刺身がドーーーン!と差し入れられた時は俺はもう憎しみすら感じた。だって処理に困るし、そもそも臭いぞ!おい!古いぞこのカツオ!どう見ても人にあげる代物ぢゃないの。

それでも決して断らず、「有難うね!」と笑ってご近所さんに礼を言うお義母さんは、偉人だと思う。いつもその後でちゃぶ台の上に鎮座するその差し入れモノに家族総出で苦労するのだが。。

結構前段だけで長くなってしまったので、明日に続く。

中国

去年の4月に初めて中国を訪れて以来、約1年の間に15-6回上海に出張で出掛けたが、今日の帰国で現勤務先での出張は最後になる(はず)。

ていうか、海外出張自体が当面無いだろう。

日本に帰ってきて成田からスカイライナーに乗っていると、改めて中国、というか上海のものすごい成長エネルギーを実感する。

日本という国はなんか特徴が無いというか、静かで、侘び寂びと言えば聞こえがいいが、悪く言えばやはり資源の乏しい国だ。
全てが清潔で丹念だが、地味ーに作られている。

中国はなんだあれは。所得ははるかに低いが、生活のエネルギーというか地鳴りのようなものにいつも包まれていて、町全体が生き物のようだ。
汚くて無秩序だけど、実体経済のスケールが違う。
壊して壊してまた創る。
日本よりもはるかに資本主義だ。というより現実主義というべきか。
万里の長城が出来てしまうわけだ。

仕事で行く機会は今後殆ど無いと思うが、しかし、中国やアメリカ、世界のいろいろな地域を生に見て、体験するということは、時間を見付けて自腹ででもやっぱりやっとく必要がありそうだ。日本の中だけで満足していてはマズイ。
今の時代、インターネットもある。移動も安い。
国内で勝ったつもりになっていても、パラダイムシフトはあっという間に外からやって来る。

シンプル=クール

http://arena.nikkeibp.co.jp/news/20050203/110923/

コンセプトがシンプルなだけにクールだと思う、こういうの。

駅弁大会

今日は外出。
行き先は百貨店の駅弁大会。
すごい人手。昼過ぎに行ったら、ほとんどの駅弁が完売状態。

しかし日本の駅弁というのは、本当独特の文化になっている。
今日の目玉は上越新幹線復旧と同時に売り出された新作弁当だ。

観光地の復旧

電車で日本人がやってくる

駅弁で盛上げよう!

というこの発想が、いかにも日本という風土を表している。

駅弁というのは世界中に何がしかのものがあるようだが(「世界の車窓より」からの推測)、日本のように手の込んだ駅弁を出す国は無いだろう。

今では更に空弁というものがある。
これがブームになるということは、国内の空の旅がそれだけ市民権を得ているということの一つの証とも言える。
今日は空弁で有名な(らしい)焼き鯖弁当というものを食べたが、、、、激ウマ!!!だった。

にしても、なぜ駅弁大会のようなものがこれだけ賑わうのか、考えてみた。

結論→日本人ほど食に卑しい国民はいないんじゃないか?

うまいモノというとすっとんでいく。
まあ人間の基本的な欲望に対して素直な国民、と言えなくもないが、仕事や社会生活において満たされず、可処分所得も少なくてあまり派手に遊ぶことが出来ない日本人の欲望が食に殺到している、という見方も出来なくもない。いや、きっとそうなんじゃないか??
単純に海に囲まれた日本の食事がウマ過ぎる、ということもあるが、、

そう考えると、もし仮に食事が満たされなくなると大変だ。
国民の気が荒れ、韓国ばりの暴動が頻発したりして。

リズム

人間には気のリズムがあるなぁ、と前からそうだけど、最近とみに感じるようになってきた。

なんかちょっとしたきっかけで、気分良くなるかと思えば、ささいなことでいきなりひっくり返されて凹むときもある。

気分良くなっているときは、何事も調子よく進む。
自分も自分に正直になれる。

凹んでいるときは、何事も負のスパイラルに引きずられる。
自分を出すことが出来ず、防御に入る。

きっと、気分が良くなっているときにやはり知らず知らずに調子に乗ってしまうのだろう。だから浮き沈みが激しくなる。
最近特にそうだ。自分自身分からないうちに漠然とした不安と戦っているのだろうか?

調子のいいときこそ、ますます謙虚になることを忘れないようにしないといけないんだろう。考えてみると僕は感情の起伏をあまり表現しないから、調子のいいときも小出しにするからダメなのかもしれない。気分がいいときは、思いっきり瞬間的に爆発させれば、変に調子に乗ったりするのを防げるのかも。
しかし、自分はそういう性格じゃないしな、、、

と、結局何の結論にもならないループ思考に入ってしまったので、このトピックはここまで。

下町コント:情熱

情熱を発揮する局面は人それぞれに異なる。
日ごろ天然ボケぶりを遺憾なく発揮する、義母であるが、今日はその情熱的な一面を垣間見せてくれた。

(食卓を囲み団欒中)


母「ところで今回会社辞めた後どれくらい休むの?」
私「いや今回は1週間程度ですぐ働きますよ」
母「あら、すごいわね。私なんかずーっと休んじゃうけど」
父「出稼ぎの人達ってのは、ほんとに仕事しないんだよ~。あの人達は半年働いたら後は失業保険もらうからさ。あんなの詐欺だよ、俺から言わせれば」

(母は出稼ぎ組みである)

母「私なんかね~、6ヶ月働くともう失業保険がチラチラして仕事に集中できないのよね」
父「おい、聞いたか今の!?(爆笑)」
母「でもねー、あれ普通に辞めると3ヶ月はもらえないのよ、あれが我慢できないのよね。だから転職も3回ぐらいすると、もう我慢できないの知ってるから自分で頼んじゃったわ、『すいません、クビにして下さい』って」

(クビになった場合は失業保険はすぐ支払われるのだ)

母「勿論ちゃんと事前にブラックリストみたいなものに載らないかどうかは事前に確認しておいたんだけどね(得意顔!)」

日頃の義母からはありえない用意周到さなのであった。

教師は子供を信じろ、誇りを持て

小学校2年生の時、休日に学校に業者が体操服を販売に来ていたら、売り物の体操服が盗まれたことがあった。
次の日、私は担当の教師に呼ばれ、いきなり犯人扱いされた。
当時の同級生の子供が最初に捕まったのだが、何故か当時仲良しだった私を共犯に仕立て上げたのだ。犯人は二人組みだったらしい。
学校の授業も出られないまま、延々と職員室で「正直に言いなさい」と私は言われた。その友人は隣に立っていた。感覚的には1時間もたっただろうか、いい加減責め続けられることに疲れた僕は、その時大泣きしながら「やりました」と言ってしまっていた。教師は「もういいんだよ。正直に言ったから」と言った。

妻は子供のころ、工作の授業でなかなか課題が完成せずに、一人居残り作業をしていたところ、先に教師が帰ってしまった。何か家で子供の世話を見なければいけなかったらしい。しかし、一人遅く帰ってきた娘の証言を聞いた親は、学校に怒鳴り込み、子供が一生懸命先生に言われて残っているのに先に帰るのは何事かと教頭に談判した。次の日、恐縮した教師は、「すいません」と謝罪した後、妻がやるべき工作の課題を手伝い、ついには殆ど代わりにやってしまった。その課題は賞までとってしまった。

いつ思い出しても腹の立つエピソードだ。
それで上のタイトルになる。