因果倶時 -68ページ目

下町コント:時代背景

週末は寒かった。そこでビデオを借りた。
タイトルは私が前から気になっていた「ジェヴォーダンの獣」
フランスのルイ王朝時代の実話を元にした時代活劇だ。

(家族でコタツを囲みながら鑑賞)


(物語中段に差し掛かる)


私「この映画、面白いなぁー(期待していただけある!)」
妻「うん」
母「そうね。ところでこれはいつ頃の時代なのかしらね?」
妻「どうだろ?」
私「これはルイ十何世とか、その辺の話らしいですよ」
母「へぇー。 あ、あのあれ、あの女の人の話、なんだっけ?」
妻「ジャンヌ・ダルク?」
母「そうそぅ。じゃ、あの話とどっちが先なのかな?」
私「そりゃ、全然ジャンヌ・ダルクのほうが先ですよ」
母「へぇー、そーなんだぁ。」

(引き続き映画をしばし凝視し数秒後、、)

母「あ、そうか、道理で白黒じゃないもんね、このお話

下町コント:平均年齢

正月の大学箱根駅伝を一人で応援に行ったお父さん。
毎年駅伝に打ち込む若者の熱気を肌で感じ、すがすがしい気分を味わうのが目的だ。

当然帰ってくれば、駅伝ネタに花が咲く。

父「いやー、あれはいいもんだよ」
母「何が? 私にはわかんないわ」
父「わかってないなぁ~」
娘「すごい人ごみだったでしょ」
父「そうだよ。俺はゴール辺りに毎年行くんだよ。あれはすごいぞー」
私「熱気ですか?」
父「そう! 若者の熱気ってのはね、本当にこの辺ではなかなか味わえないわけ。我々の世代になると普段はどんなに頑張っても、もう若者ってのがどういうものかすら忘れてるもんなんだよ、ね。そこにくると、あの大学生ってのはねー」
私「そうですよね。学生は将来のことなんかなんにも考えずに駅伝だけに打ち込んでますからね」
父「そうそう、そうなんだよ。あーいうことが出来るのはあの年齢の特権なんだよ、な、お前もそう思わない?(と母に話しを振る)」


母「やっぱり若いのかしらねー。ところで若いっていうけどあの人たちは大体平均年齢いくつぐらいかしら?」

、、、、、、


(一同大爆笑!!!)

父「いやいや、うちの嫁さんは頭の使いどころ、目のつけどころが違う! なかなか人の思いつかない質問だよ(笑)!。  うん、まぁ、なかなか難しい質問だ! 18歳の人もいれば22歳の人もいるからな。いやいや恐れ入った!」

NHKの受信料

国民に支払い義務のない受信料というものを生活の糧にしているNHK。
こんな制度は諸外国にはあるのだろうか?
言ってみれば、切取り放題山陰地方をやるという空手形を与えられた明智光秀のようなもので、NHKはもっと謀反を起こしてもいいはずだ。

そういう根本的なところで戦わず、へんなプライドばっかり持ってるから屋台骨が腐ってきたんじゃないのか?

受信料制度は撤廃し、購読制にすればいい。
テレビを買うのは携帯電話を買うのと一緒で、テレビを買うときにNHKに契約の無い人は契約を締結し、月2000円の購読料を支払うことにする。
もちろん未払いの人は電波停止。

今時公共放送といってもインターネットも携帯電話もあって情報の入手手段が多様化している時代に、NHKだけが公共放送の使命、なんてものを背負わなくてもいいでしょう。まあ今回の事件で明らかになってきているように、公共放送って、結局政府放送みたいなもんだし(そう考えれば政治家の意見聴きに行くのも全然おかしくない)。

銭湯

銭湯って最高。
僕が住んでる地域には銭湯がうじゃうじゃあり、家の風呂は古くて暖かくないので、最近よく銭湯に行くようになった。

今日は久しぶりに子供抜きで、義父と二人で銭湯でゆったり。

やっぱりデカイ風呂はいい!
なーんにも考えないでゆっくり風呂に使っていると本当にいい気分転換になる。

ところで銭湯に行くと、銭湯組合?の月間誌が置いてあって、自由に持ち帰りOK。
風呂上りにゆっくり読む人を想定しているのだろう、結構記事も充実していたりする。
こんな雑誌を発行できるなんて、銭湯業界、結構景気がいいのかな。

にしても、日本には銭湯が似合う。地域コミュニティの一つだし。
家の風呂にばかり入っていないで、銭湯復権しよう!

挨拶

今日はとうとう転職が公けになった。
色々な方にご挨拶のメールを取り敢えず送った。
暖かい返事を多数頂いた。
嬉しい一日だ。

私のような不束者でも、多くの方の見えないところでの支援に支えられている、ということは夢でも何でもなく、本当に真実なのだ。そう思えた。

転職を決意してこのかた、全く思いもしていなかったが、今日は思いがけなくも目頭が熱くなったのだった。

いい会社だ。だから今のような困難な状況でもトップランクの人気なんだろう。
まさに、「ローマは一日にして成らず」

天皇

天皇という存在はなんとなく小さな頃から頭の片隅にあった。
特に教えられたわけでもないけど、小さい頃は天皇と呼ばずに天皇さんと呼んでいた。 君は右か左か?といわれれば、とっても右な人間だ。
戦後、昭和天皇が人間宣言を出し、そして一応形はただの人間です、ということになっているが、世間でもっとも窮屈な芸能人のようなもので、国民みんなが期待するような、理想的な人間像を演出することを、特に皇太子として生まれた人間は強制される。
多分昔の天皇はもっと奔放だ。一般大衆より大金を使い、女に囲まれ、食事にも困らず、乱れた生活を送っていたに違いない。
今の天皇はなまじっか開かれた「人間天皇」で、衆目の監視下に置かれており、自分たちも世間のことをテレビでよく知っているに違いないにも関わらず、振る舞いだけは理不尽にも窮屈なことを要求される。
間違いない。今のおじいさん世代が当たり前と思い、期待と尊敬をかけてきた天皇制は近々破綻するだろう。だって、一人の人間が、天皇として生まれたばかりにこのような理不尽を要求されていれば、精神が破綻するに違いない。昭和天皇の直系の最後である現皇太子が死ぬ頃には、もう天皇の役割も終焉だろう。終焉にさせてあげなければ、本当は人間である天皇がかわいそうだ。と僕は思う。
皇太子の発言が去年物議を醸し、世間からは公私混同であるとして批判も起きたが、考えてみよう。これだけの期待と責任を国民から要求されている一人の立派な男が、自分の主張を持つようになるのは当たり前だ。まして彼の発言は家族を守ろうとする意識が根底にある。この現代の日本において、家族をこんなに露骨に大事にしようとした大人がそんなにいるだろうか? これこそ究極の理想像と言っても過言ではないと思う。彼は日本国民全員を敵に回す危険を冒したのだから。 問題は発言そのものではなく、このような発言を引き出すに至った、制度自体の矛盾にある。

天皇制やめよう。もういいよ。そして、日本という国は、象徴としての天皇に求心力を頼った形式的な国作りの発想から、本当の国とは何か?ということを改めて考えることになるんじゃないか、と僕は思う。

気は焦る

あー、やりたいこと沢山ある。
アイデアはあるが、全然まだまだ具体化してない。
これじゃダメだ。
しかしこれから自分は自分のやりたい方向へ踏み出すつもりだ。
そう思うとわくわくする。
この前親に自分のプランを説明しているうちに、結構やりがいのある長期的なビジョンが構想出来てきた。なんでもいいから話をしてると自分でも思いもつかなかった潜在的な発想や昔考えていたことが、急に結びつきだして現実的な話となる瞬間がある。あれって面白い。余談だが、うちのちいこい子供も2-3日おきに突然言葉のレベルがアップするときがある。まさしく赤ん坊の頭の中では様々な点がきっと無数に記憶されていて、活発に線を結ぼうとしているんだろう。以前会社の人と話しているときも、漠然とした雑談から具体的な事業性が垣間見えるところまで話が発展した。 いわゆるブレーンストーミングというものはその90%が失敗に終わるが、残りの10%が大事だ。そして更に大事なのは思いついたアイデアをメモっておくということだ。 IDEOという有名なデザイン会社があるが、ここの秘密は、ブレーンストーミングにあるらしい(発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法
)。
私は大概この段階までは出来てきている(と思う)。
問題は次の一歩、すなわち事業プランを描くという部分だ。
これはまだ出来ていない。気は焦るばかりだ。
そろそろそこの部分をしっかりせんと。

縁・尊敬できるということ

今日はある人との打合せだったが、いろいろといいことを聞いた。仕事も家族もしっかりとケアし、自分自身の道をしっかりとつかんだ人の言葉は、何の衒いもなく、バランスの取れた正論であり、経験に基づいた大きな法則が横たわっている。全く尊敬に値するとは、そういうことだ。
そういう人の言葉を聴くと、いかに日ごろの自分が自己欺瞞と顕示欲に動かされているかということに気づかされる。 やはり人間、最後老成したときに、妙な欲がなく、落ち着いてバランスの取れた人間でありたいものだ。そうじゃない人も世の中沢山いらっしゃる。私のような若造が言えた義理ではないかもしれないが、年を経た人のそういう姿は全く見苦しい。 私が今思うに、バランスの取れた人間になる一つの大きな要因は、いかに「家族を大事にできるか」ということだろう。家族を大事に出来ない人間は、仕事をやってもダメだ。

今回はいいことをたくさん聞いたのだが、簡単そうでちゃんと出来てないことを一つ言われた。「人生も仕事も、突き詰めれば最後は人間関係しかない。お世話になった人にはかかさず年賀状を送る。たったの50円で人との縁が保てる。こんなに安いことはない」ということだ。
私は人一倍人とのお付き合いが得意な人間ではないと思っているが、特に挨拶関係が苦手だ。お恥ずかしい話である。 しかし、年賀状というのは会うわけでもなく、単に数行のご挨拶を「書く」という行為だ。こんな程度のことをちゃんと出来ないようで、大成どころか小成もするはずがない。 実際送るのは多少面倒でも、人から来る年賀状を見るのは嬉しいことこそあれ、気が悪くなることはない。
これからは、かならずご縁のあった方には年賀状を送ることを欠かさないようにすることにした。近頃は年賀状を書かない若い人が圧倒的に増えているが、手紙を書くなんてせいぜい年に1回のことなんだから、やっぱり書きましょう。
(といって、去年の年賀状はまだ書けていないのだけど。。。)

それにしても、人生経験を経た人との会話では、30年40年掛かって得られたノウハウをあっという間に知識として得ることが出来る。素晴らしいことだと改めて実感した。

モチベーションということ

またまた前回記事でも引用したある方からのメールの中の一言を引用させて頂くのですが、某R社は「モチベーション」の引き出し方がとても上手い、と仰られていた。このことは、僕の尊敬するある友人からも折に触れ聞いていたことでもあるが、実際、そうらしい。

最近タクシーに乗ると助手席の後ろに掛かっている某人材派遣会社の広告には、最初からやる気のない人をいくら叱ってもダメだ、と書かれている。

一方、この一年関わった中国の某メーカー幹部は、経営のプロといわれており、今までに数々の会社を軌道に乗せた有名人であるが、今焦点となっているその会社では、恩賞方式よりも厳罰方式の経営を行っており、今までの従業員との交流からは、全くモチベーションが伝わってこず、実際、人の離散も激しくて、うまくいっていないように思える。

昨年米国で勤務した際に、一人のちょっと危ない人から貴重なアドバイスをいくつか頂いた。中でも一貫してよく言われたのは、「仕事と私生活の目標のベクトルを合わせなければ、楽しくないよね」ということだ。

モチベーションとはすなわち、楽しい、ということにつきる、と僕は思っている。楽しくなければ、仕事はうまくいかない。何故か。それは発想の転換が訪れないからだ。
発想というのは、仕事にアイデンティティを付加するものであり、発想のない仕事には個人のオーナーシップはなく、あるのは単なる責任と重圧のみである。
問題なのは、本人が楽しめていない仕事は、他人も楽しめない=人が寄ってこない、ということである。これでは儲かるわけもない。仕事にアイデンティティが出来たとき、初めてその仕事は自分の仕事となり、職務ではなくなる。
面白いことに、業務自体は単調で、あまりクリエイティビティの不要な古くからのルーチンワークであっても、その人がその作業にアイデンティティを見出したとき、それはその人にとっての仕事となり、その人は輝き始める。仕事自体も周りから見ていきいきとして見えることがある(程度の差はあり、無理と矛盾だらけの場合もありますが)。

であれば、従業員に対して「楽しさ」を与えることの出来ない業務、組織は、どんなに頑張ったところで先が見えており、どんなに一時的に成功したところで、所詮ぷつぷつと弾けては消える泡ぶくのようなもので、時代に光を放つことは出来ない。その仕事にはきっと「意義」が無いのだ。

昔読んだ本に、「Survival is not enough」という言葉があった。人間はSurvivalするだけでは満ち足りないから人間なのであって、昔から戦争をする武将が常に求めたように、「大義名分」があって始めて通常以上の力を発揮し、充足感が得られるのである。

組織を統べるもの、チームをリードするものは、常に部下が充足できるよう心がけなければならないのだ。それは給料でも肩書きでもなく、うまく言葉には出来ないが、ぜんぜん違うものだ。 僕にはまだそんな力はきっと無い。せいぜい事務の女性に心を配るぐらいだが、常に心がけ、そんな力を養って生きたいと思う。

2005年-抱負

さあ、明日から仕事始め。
今日は病み上がりの妻と子供をつれ、遊園地へ。最後の正月休みを穏やかに過ごした。

今年は転機の年だ。細木数子によれば私の運は結構転機にするにはいいらしい。別に占いで動くわけではないけど、意識しないところでそういう情報が来るのは悪い気はしない。

転機といえば、ちょうど9ヶ月前の今頃、あるオフ会で出会った方から、状況連絡メールが発信されていた。その方は9ヶ月前はやはり転機を迎え、新しい仕事を開始されたばかりだった。どうやら状況報告メールによれば、新しい環境でも成功され、更に自信をつけられて、今年はまた新しく独立に向けた行動を開始するらしい。自分には自分の道があるが、新しい局面が迫ってくることに気づかないうちに若干ナーバスになっている自分にとって、非常に刺激される話だ。

最近は色んな場面で拾い聞きした話を、つい自分に置き換えて考えてしまうのだが、あるテレビ番組では漁師のおじいちゃんが、「人生は何が起きるかわからないから」ということを仰っていた。普段なら別になんともなく聞き流してしまう言葉だったが、この時はやけに耳に残った。というのは、「何が起きるかわからないから」という言葉の意味自体が感覚的につかめないような気がしたのである。寧ろ、人生ってなんだかある程度は予測がつくし、そんなに想像を超えるようなことに直面したことないよな、というのがそれを聞いたときの私の正直な実感だった。
といっても、色んなことが起きたんですよ、多分人並みかもしくはそれ以上に。一般的な意味で言うとかなりハードな時期があった。ただ、それを「何が起きるかわからない」という言葉で捉えられないのは、おそらく、そういった事件は、自分自身がトリガーを引いて、自分でデモンストレートした事件とは思っていないからじゃないかなと思う。いくら境遇が変化しても、何かそれを自分のこと、として捉えられない自分が今までいた。時にはそんな、いつもある意味冷静で客観的な自分自身のことを、何か異常人格なんじゃないか?と思ったことさえある。

そういう意味で、今、モチベーションがあり、漠然とはしているけど目標があり、自分でトリガーを引こうとしている今の自分に今年、何が待っているのか? そして自分がどこまで成長できるのか?きっと、自分が自分の希望に向かって選んだ道なんだから、自分が思っている理想の姿とは全く想定外のことに出くわすだろう。そして、そのときこそ、「あれ、こりゃ想定と違うわ。どうしよ」と思うに違いない。そこで、自分が主体的に局面を打開できるかどうか?それが出来なきゃ、今までの自分の殻を根本的に打ち破れない予感がする。

さて、つべこべ考える間もなく、2005年はもう始まりました。
焦らず、しかし着実にやることやっていく年としたいと思います。
そして、いきなりですが、今年は、

①自分が携わった仕事をビジネスとして成功させること
②新しい方、古い友人の再発掘も含め、100人以上の新たな知己を作ること
③プライベートでも打ち込める趣味を作ること

を当面の目標にして頑張りますので、皆さん宜しくお願いします!