因果倶時 -6ページ目

商社とベンチャーで迷ってる、みたいな話

最近、
就職先で、
商社にしようかベンチャーにしようか・・・?

と悩む人が多いみたいですね。

大概そういう人は、
将来起業したい、
と漠然と思っているケースが多いようです。

あるいはデカいことがしたい、
かっこいいことがしたい、
みたいな。


一応両方を経験した自分としては、
一つ思うことは、
それは、
どっちだろうが関係あるか!
ってことです。

というか、
起業したい人は、就職なんかせずにすぐ起業したほうがよいです。


大企業につとめていると起業する人が少なくなるのは、
理由は簡単。

それは「安定してしまう」からです。
給料もそこそこもらえる。

人は、
一旦一定の収入、生活を始めてしまうと、
その安定した生活を守りたいと思います。

これは誰でも同じだと思います。

仕事、職場での地位、生活レベル、恋人、親戚、親。
自分を囲む周りのものが、
今現在の自分を前提として全て成り立ってしまうことにより、
そこから抜け出すことは勇気が必要になります。

さらにそこから結婚、子供が出来る、
そういったことが重なれば、
必要な出費もどんどん増える。自分以外のことも守らなければいけない。
今の給与を前提にして自宅も購入する、
子供も塾にいかせ、学資もかせがなければならない。

ますます勇気と決断が必要になる。
よほど固い橋でなければわたれなくなる。

こうやって、起業できなくなります。
というか、起業どころか、その組織から抜け出せなくなります。


ベンチャーの場合はどうか??

まったく変わりません。

ベンチャーであっても、同じように仕事、職場での地位、生活レベル、
みなそれなりに安定する。
安定すればみな大企業思考になります。
成功体験も自分を縛る。
その、自分が知っている、自分が把握できる範囲の体験の上に、自分を積み重ねていきたいと思うもの。


でも、ベンチャーだったら自分の好きなようにできる?

もちろんそんなこともない。

ベンチャーだろうが大企業だろうが、
かならず上司がおり、社長がおり、場合によっては株主もいる。

実力もないのに何の責務も負わずにノーリスクで自分の好きなようにできるはずもない。
ベンチャーの中で誰かが立ち上げた既存の事業をただ守っているだけなら、
別に職場がどこであろうと何も変わらないです。

また、創業者が社長であるベンチャーの場合は、
社長や幹部陣が大きな影響力を持ちます。

社長や幹部陣が考えている思想、方向性に賛同できれば距離が近いだけにものすごく面白くなるし、
逆にその方向性に少しでも違いを感じるなら、逆にかなり厳しい。
すくなくともトップである社長のことをある程度無条件に尊敬できないと無理です。

その点、
大企業はそこまで強制的な環境ではなく、人的な余力も高いので、
ある意味、自分の好きなようにできる、という見方もできます。


というわけで、要は、

・起業したい&やりたいことや夢がはっきりしている
 ⇒ 何も守るものがない状態で、すぐ起業したほうが絶対いい。

・起業したいけどやりたいことがわからない
 ⇒ やりたいことがわからないのに起業したいということだけが先行しているのも自分にはよく分からないけれど、就職するしかない。その時点でまず、「将来起業しやすいかどうか?」なんてブリッジ的な視点はすぐに捨てること。そもそもそんなこと机上の空論、何年先の話か分かりもしないので。
それよりもまず、
 ①目先の就職先の企業がやっていることに対して心から賛同できるのか?
 ②そこで働いている先輩は自分と共通言語(考え方)で話しができる人たちか?
 ③成長市場に軸足を置いているので、次々と新規事業がうまれやすい環境か?(それであれば自分が事業責任者につくチャンスも多いということ)
 ④上記の①~③を踏まえたうえで、自分が全力投球でその会社の仕事をする気持ちになれるかどうか?

ということを考えれば、おのずと自分の行き先は見つかると思います。
後は、「縁」を大事にしたほうがいいかな。

ちなみに、
やりたい分野がある程度はっきりしている人は、
その分野にずっと興味がもてるかどうかはさておき、
まずその分野に軸足を置いている会社に入ることを優先させたほうがいいですね。
成長市場云々とかよりも。当たり前ながら。


そんな風に思います。

日米格差

最近欧米系、というよりもアメリカのウェブサイトを見ていて急激に感じているのが、
ウェブサイトの構築、特にUIの設計という点において、
この1年ぐらいでアメリカのサイト設計が格段に進歩したのではないか、ということ。


しばらくあんまりそうは感じていなかったので、
少し衝撃を感じている。
ああ、ゆで蛙状態だったのかな!と。


現在アジアにおいても、
FacebookやTwitterが地域ウェブを席捲しており、
文化の格差というものを飲み込む勢いで広がっている。


インターネットサービスというのはカルチャーに大きく依存するものなので、
地域性に応じたカスタマイズが必要だという考え方を、
もはや必要ないのではないかと思わせるような勢い。


自分が特に感じているのは、
もちろんウェブサイトにもピンからキリまであるとはいえ、
最低スタンダードなラインでのパワーアップが著しいということ。


たとえていうなら、
香港にいくと、まず、「不味いレストンラン」というものにめったなことではお目にかからない。
基本的に全てうまい。


それに近い。


その、一定基準をクリアしたウェブサイトが、ものすごい勢いで量産されているように感じる。
正直、日本のウェブサイトはどれも、一世代前の旧式サイトに見える。


多少先進的なサイトがあるくらいであればちょっと学ぼうぐらいで何も驚かないけれど、
今自分が感じている格差は、
デザイナーやエンジニアの平均的な技術力にあわせ、
組織改革や意識改革を伴う何か重要な変化を起こさなければ追いつけないもののように感じる。


具体的には、
今日本でのネットサービス、サイトつくりは、プロデューサーやディレクターと呼ばれる人たちが主導している。
程度の差はあれ、エンジニアやデザイナーは社内の中での受託業者と化している例が殆どだと思う。


そのせいだと思うが、
エンジニアやデザイナーが、自社のサイトやサービスについて生き生きと語り、発想力を全開にして取り組んだような事業は殆どないように思う。
一方、アメリカから発信されるさまざまな情報には、エンジニアやデザイナーが自らの発想・自らの事業として取り組んでいるサービスに関する情報があふれているように思う。


今、この温度差が著しい技術格差、デザイン力格差として現れており、この差を埋めるには、
組織を、もっと振り切ってクリエイター組織にしていく必要があるのではないかと思う。

というのも、昨今のネット業界における技術革新は、もはや普通のプロデューサータイプの人間には理解が難しい状況になっており、後から追いつくことさえままならない。 その部分についてはまさにテクノロジー業界になっているからだ。

それに加えて、プロデューサーが何かを作ろうとすると、そこには必ず事業的なバイアスがかかり、上司の了解も得る必要があるし、外部の人からの批判も気にしなければいけない。制約が多すぎる。そうやってだんだん、「常識」的なものしか生産されなくなってくる。



今後、組織の中でプロデューサーの一番大きな役割は、仕様を考えることではなく、事業の目的を設定することではないかと思う。 特に重要なのは、その事業のビジョン・意義、を明確な形でチームに示すことだ。 また、ネット業界以外のところで何がおきているのかを常にキャッチアップし、オンライン化できそうなビジネスの種を見つけることも必要だ。なぜならその辺はネット業界のデザイナーやエンジニアは疎くなりがちだから。


そして、デザイナーやエンジニアは、ディレクターに依存するのではなく、自らをセルフディレクションし、最新のトレンドを踏まえて目的に沿ったサービスを考え、サイトをゼロから自由に設計していく。 つまり、これまでと違って、仕様を考えることそのものがデザイナーやエンジニアの役割になるべきだと思う。
そしてディレクターは、それらデザイナーやエンジニアのアシスタントとしてもっぱらライターとして完成物に肉付けをしていく。

ただし、これからのインターネットにおいては殆どのサービスはプラットフォーム型のツールサービスになるので、開発段階においてはライターの出番はどんどん狭まっていくし、むしろ、UIにおける超重要要素としてデザイナー自らがその役割もこなすことで一貫したサイト設計を実現したほうが効率が良い。
つまり特にデザイナーが守備すべき範囲は開発分野も含めてより広範囲になるべきだし、そういうデザイナーの価値がどんどん上がっていく。 そういうデザイナーを育て、存分にアイデアを発散させられる環境を作っていかないと、本当に斬新かつ便利で、世界に衝撃を与えるようなサービスは生まれてこない。 エンジニアだけでは無理。


そんな感じじゃないだろうか?


というわけで、
ようやく自分もそんなことに気づいたので、
自分も、自分自身そしてチームにおけるこれまでの仕事のスタイルを変えていかなければ、
と思っている今日この頃です。

誕生日祝い

メンバーからすばらしい誕生日祝いをいただきました。
超嬉しいです。
ありがとう!

因果倶時-誕生日

宝石のような

お昼は子供におにぎりを作ってあげて一緒に食べ、

午後は公園で子供とサッカーやおにごっこ。

ハトにエサをあげて遊び、

夕方は広い銭湯に子供と入ってゆっくりと疲れをとり、

夜はたまたま、YouTubeで陽水&玉置の素晴らしい映像を発見してその歌声を堪能。

最後はこれからイナムラショウゾウの苺ロールケーキで締めるところ。


他愛ないけど、

なんとまあ1つ1つが贅沢で素晴らしい一日だったんだろうと、

そんな思いにひたってます。

思い切り、楽しく。

2010年。
当社は親会社が6日スタートなので当社も今年は6日スタート。

われわれはグローバル事業を推進しているチームなので、
来年はこうはいかないかもしれないなあ、などと思いながら長い年末年始を過ごしています。

去年の年初初めのブログは自分は何を書いたのか調べてみたら、
こんなことを書いている。
頼りになるもの

そういえば不況の真っ最中だったなと思う。
そもそも1月15日。ずいぶん日も経っている。

書いたことは改めて見ると面白い。

たしかに、じわじわ出汁がでてくるようなサービス、振り返ってみると結局自分は作れていない。
出汁を出す作業はとても根気がいるものだ。
だから、好きじゃないとやれない。
好きだから、とか、やりたいから、とか、やるべきことだと思うから、
とかじゃなくて何か別の目的でやっている場合は、
結果が伴わないと苦痛になってくる。

事業というのは必ず浮き沈みを伴うし、
日々の大半は単調になる。
しまいには、成功し続けることすら単調になる。

そうするとやっぱり苦痛になる。

だからといって、
そこで投げ出してしまうと、
投げ出された事業、サービス、商品は、
中途半端に失敗の烙印を押されてしまう。
そういう途中で投げ出されり放置されているようなサービスや商品が、
まるで都合良くもてあそばれた何かのように見えて、
僕は正直可愛そうでたまらない。


2009年はいろんな見方があると思いますが、
僕にとっては、
ターゲットを絞りきるリスクを負う代わりに、
何かを徹底的にやりきっているサービスや商品が、
不況の中で圧倒的な支持を集めた、という年だったという印象があります。


その代表格が、クックパッド。

もはや、
日本中の主婦がクックパッドを見て料理を考えている。
「投稿サービス」という、一見ハードルの高そうなサービスでありながら、
これほど、「ネットユーザー層」ではない一般的な利用者から日常ツールとして圧倒的な支持を集めたサービスは、これまでになかったと思う。

クックパッドをSNSとして明確に定義した記事は見たことがないけれど、
クックパッドこそ、
全くの赤の他人、素人同士を結びつけ、
「料理」という題材だけを軸に広大で実益的なネットワークを作ったSNSだという気がしています。
このSNSは、
ほかのSNSと違い、
流行り廃り、というものとあまり無関係なところでまだまだ進化し続けていくはず。

もうひとつの代表は、LinkedIn。

アメリカ発のビジネスマン専用SNSですが、
その開発理念に忠実に機能をどんどん充実させていった結果、
いまでは世界中のビジネスマンとのコンタクトが、
LinkedIn経由で行える時代になってきており、ビジネスマンの必須ツールと化しつつある。
去年はそれがやはり表面化した年だったんじゃないだろうか。

海外事業をやるようになると、
無料で使えるにも関わらず強烈なBtoBでの情報伝達力を持つLinkedInの凄さを強烈に感じます。
面白い、とかではなく、普通に、「便利」なSNS。

クックパッドと同様、
LinkedInも、専門分野における圧倒的な利便性を武器に、
これからしぶとく生き続けていくタイプのサービスになると思う。


僕は、
クックパッドやLinkedInが起こしたような変化は、
まだまだ沢山起こせるものだと思うし、何よりも、こういう目的に忠実で、ボトムアップ型のものは好きです。



もうすぐ、
転職してから丸5年。

5年前、
何か普通の人たちの日常生活を便利にし、豊かにするようなサービスや商品を作ることを、
徹底的にやり続けたい、と思って転職した。

その5年で、
日本という国自体が何か大きな閉塞感の中に追い込まれている。

このタイミングで、
大河ドラマのテーマが「坂本龍馬」になるというのも、
そういうことなのか。自分は勘が鈍いのでやっと気づきました。

とりあえず、
5年間、
得たものは沢山あったけれど、
アウトプットとしては大したことは何も出来ていないのが現実。

初心を、やるべきと思うことを、今年はもっと思い切り、楽しく追求していこう、と思います。
今担当しているアジア事業も、やればやるほどに、ますますその意義を感じる。
成長意欲の高いアジアの人たちと話すたび、こちらが触発されます。
2010年はいろいろと面白い年になる予感。自分だけでなく。

最終営業日へ

さあ明日は今年最後の営業日。


去年の今頃を思い出すと、
大きく変わったなあと、
ちょっと感慨深いものがある。


いろいろと、
新しい仕掛けの検討にもだえていましたw。


今年は、
また別の意味で、
新しい時間、全く違った種類の課題に追われている。


しかし、
手のつけようがないほど膨大に見える仕事も、
足元のひとつひとつの課題からじっくり解決していけば、
そのうち糸はほぐれていく。


そうやって糸をほぐしてみれば、
結局最後に残る課題は、
どんな事業であれほとんど変わらないようなとても単純なものだと思う。


そしてその単純なものに手をつけることが、一番答えがなく、難しい。


ただし
足元のひとつのことすら解決できなければ、
ますます増えてくる課題の中で、
何も見えてこない。


明日、
そしてこの1年を、
きっちり締めて来年に臨みたい。


それにしても、
1年というものが、
こんなにもあっという間に過ぎる。


来年の今頃も、
自分が向かっていくべきものと思うものにちゃんと向き合って、
その結果、
また自分と自分をとりまく環境に大きな変化を起こした状態で臨んでいたいと思う。

田植えをしながら収穫する国

初ジャカルタ。
いろいろな意味で収穫ありました。


今日はひとつ、
固定概念を破られるような面白い話を聞けました。


インドネシアの人は比較的時間というものに対して大雑把ですが、
日本人駐在員ですら、
ジャカルタにずっといるとだんだん日付感覚がおかしくなってらしいです。


どういうことかというと、
「○○さんとそういえばいつか会ったけど、
あれは一体いつだったっけ????」
となるらしいです。


ジャカルタは赤道直下。
一年を通じてほぼ同じ気候。
だから景色が一緒なんですね。

日本には四季がある。
春がきて、夏があり、秋がきて、冬で終わる。
そのサイクルの中で、
あらゆる記憶が、
無意識にある季節的な光景と一緒にメモリーされる。

ジャカルタにはそれがない。
だからどの光景もすべて一緒になってしまい、
日付感覚、暦の感覚がなくなってしまうみたい。


例えば、
稲作なんかも、
田んぼごとに適当に植えて、適当に収穫しているらしい。
だから1個の田んぼでは田植え中なのに、
となりの田んぼでは収穫中、
ということが普通にあるとのことです。


こういうことって、
日本人からすると全く想像しがたいことじゃないでしょうか???
田植えの横で収穫中・・・・ 想像しがたいです。。


春になれば一斉に田植えをし、
綺麗に成長していき、
綺麗に整然と収穫される。

日本人はこういうことが美しいと本能的に思う。

日本人はいかに季節に恵まれているということを改めて感じるとともに、
一方で、ある意味季節に縛られてきた民族だということを思います。

時間に厳しいのも、
冬から逆算して冬仕度のために1年の日程をしっかり決めることが必要だったせいなのかもしれません。


東南アジアの人たちが大雑把で、
時間にゆるいのも、
こういうこともそのひとつの要因だなと考えると、理解できる気がします。


文化、生活、気候、土地、宗教、あらゆる要因が、
美的感覚に決定的な違いを起こしうる。

それは、
多様性の象徴である国というものが自然と形作られる上での、ひとつの大きな部分になりうる。


なんにしても、
ある民族にとってのスタンダードは、
ある民族にとってのスタンダードでは全くあり得ないということの、
はっとさせられるような気づきでした。


初インドネシア、
行ってよかった! 収穫沢山。

いまどき山口百恵

昨日テレビで、
山口百恵さんの映像を見た。

なんというか、
衝撃を受けた。

全く色褪せない、どころじゃない。
いまどきのエロカワとかそういうの、子供のお遊び。

そんな人なのに、
あっさり芸能界引退してから一回も表舞台に出てこないんだからかっこよすぎる。

ザ・ベストテン 山口百恵 完全保存版 DVD-BOX

買おうと思ったけど、
結構高いので思案中。

飽きもせず&サプライズ

どういうサービスが好きか。

美しいサービス。

自分にとっての美しいサービスとは、
分野に限らず、ターゲットとなるユーザーのターゲットとなる1つの欲求にひたすらに飽きもせず粘着質に応え続けているもの。例えば2ch。

1つの可能性だけを追い続けるというのはリスキーな行為だが、
時代を動かすようなものは作り出していくにはそのリスクテイクは進んで取るべきものと思う。

但しその中で、
その粘着質な動きもただひたすら地味にやっててもそのうちビジネスとしてアウトになる。

そこで、
いかにインパクトのあるものをナイスタイミングで織り交ぜて予想もされなかったようなサプライズを提供し、
飛躍させていくことができるか、
が、プロデューサーのセンスにかかっている部分。

ブースター

今月は早い。いや先月もそう。
来月も早いと思う。

新会社の立ち上げ前からここまで、
そしておそらくここからまだまだ最低1年ぐらい、
ずっとロケットブースターのように仕事があると思う。
そして、
メンバーにもそれをお願いすると思う。

実際、
現在のスピードでも、
やるべきことで放置していることが山積み。

多分、
それがなくなったときは、
事業が失敗しているときだ。

なんでこんなに逼迫しながらやるんだ、
と思われるときもあると思う。

それは簡単で、
競合がいるから。
しかも自分達が追いかけている事業はものすごくこなれた事業で、実際ありふれている。
ビジネスモデル的にはともかく、ユーザサービス的には笑えるほどにレッドオーシャンである。

でももっというと、
競合の存在すら関係なく、
100点のものがあるとしたら次にそれを101点にできることを、
四六時中考え続けて一刻も早く出すのが仕事だと思っているから。

自分でもしんどくて嫌になるときがあるけれど、
これはもう習性みたいなもの。

こっちが超大変な想いをしてやったことでも、
ユーザーや客の目から見ればごくあたりまえのことであるか、
もしくは大したことではないことが仕事の大部分を占めてしまうものだからそれは残念ながら当然だと思う。

例えば量販店で100円の商品を98円で売り出すことに、
店のほうでは血眼になって何ヶ月も準備していたとしても、
客から見れば2円下がっただけの日常的な風景になってしまう。

そう思うと、
一刻ものんびりしてられないと思う。

再来月やろうという計画を立てたことであっても、
できれば来月、今月やりたいよな、
と思って、
最短化の道を常に探し、
そのために短期・長期の仕事の優先順位、
日頃のコミュニケーション、
仕事のリズム、
地道な日頃の勉強を進めることなど、
全てを常に見直し対象にしていきたいと思う。