因果倶時 -2ページ目

「誰とやるかではなく、何をやるか」

ここのところ、
若手の、
特にやる気のありそうな人から、
「何をやるかではなく誰とやるかだ」
という説をよく見聞きするのですが、
それは、
聞こえはいいけど、
本当にそうだろうか?
と最近気になっています。

どこかで、
本来考えなければいけないものにたいして思考停止している気がしていて、
ある意味、
外部依存型、オッサン的、内向的な思考ではないかなと感じる部分があります。


夢に挑むのであれば、
本質的には二択問題ではないはず。

テーマは、
「何を、誰とやるか」、

つまり、
敢えて二択するなら、
「何を」
が先に来る。

若いうちは、いろいろな人から吸収するために「誰と」働くかはもちろん重要。
でも、正念場にさしかかれば、自分自身が「何を」を決め、場を導いていく必要がある。
そこでは、リアルな利害関係やインタレストの違いが出るので、
個々が本当のパワーを発揮することを理想とするならば、
誰も彼も八方美人のように連れていくわけにはいかない。

そういうことを踏まえたうえでの、
「誰と」
だと思います。

場足によっては、
「誰と」
が伴わなくても進まなければいけないこともあるだろうし、
そもそも、
「何を」
がはっきりしていて初めてやるべきことにドライブがかかり、
周りが手を差し伸べることが出来るものだと思うので、
やはり、
「何を」
は欠かせないものだと思います。

日本脱出

今日はマニラのパートナー会社の社長とお話をさせてもらったが、
もう10年以上当地で仕事をされている社長の実感値として、
日本人のマインドは、
なかなかグローバルにならないし、
正直、無理なんじゃないか、
中国にも韓国にも負けるのは確実なのでは、というお話でした。

自分も、
その実感値に非常に賛成する部分があります。

そもそも、
グローバルマインドとは何なのか?

いろいろな定義があると思いますが、
自分が感じるのは、
前提を捨てて、
世界はフラットで多様だし、
フラットに世界中の人と競い合い、共感し合い、
グローバルマーケットの中で自分個人の価値を問うことに、ナチュラルにエキサイティングな感覚を感じられるかどうか、ということのような気がします。

日本人の場合、
個人としての価値よりも、
グループとしての組織価値をよく言えば重視、殆どのケースでは依存してしまうことが多いので、
どうも、会話の軸がズレるケースが多発するように感じます。

そこでよく発生するのは、
アジアに対しては高圧的で押し付けがましく、
簡単に言えば、アジアからの提案は受け付けないが、
欧米に対しては卑屈になるし、自信がもてなくなってしまう、という、典型的な構図。

海外に一旦出れば、
そこにいる人たちが聞きたいのは、
会社がどうこう、ではなく、
あなたはどういう人なのか、あなたは今後の世界・自分自身について、
どういう展望を持っているのか、
ということだと思います。

最悪、
英語ができなくても、
ここを伝えることが出来るマインドセットがあれば、
最早グローバル人材と言えるかと思います。

ただ、残念ながら日本の中にいながらにしてこのグローバルマインドを磨こうとしても、
陸の国境が無いから、武力だけでなく、人材競争という意味でもリアルな脅威を感じることは不可能に近いし、
日本人だけから、日本人の感覚や前提を元に判断された、日本語の情報を拾い、
日本人と日本語で議論しているだけでは、
この感覚を養うことはどう考えても無理です。

そして、
日本という国が今世界の中で退潮が明らかである中、
その感覚を養わずにいることは、自分自身が退潮に染まることに近いものがあると、
このところ、
ヒシヒシと感じています。

だから、
海外事業をやりたいと少しでも思っている若い日本人は、
速やかに日本を脱出し、
心身ともに振り切ることを、
模索すべきだと思います。


海の向こうへ!

Sony

最近、
いろんな意味でこの記事に感銘を受けました。

http://www.businessweek.com/magazine/content/10_44/b4201096309840.htm
(Bloomberg Businessweek)

いい話がいくつも含まれていると思うのですが、
それは記事を読んだ方の個人個人の感想によるとして、
一つ改めて気付かされたこと、
それは
Sonyを代表とする日本のテクノロジー企業は、
米国のトップ層から見ても非常にRespectされていた、という事実です。

改めて考えてみると、
日本には、
単に有名だということでなく、
たしかに、
Respectされている会社がいくつか存在すると思います。

Sonyもそうですし、Toyota、Hondaなどもそうだと思います。
最近でいえば、ユニクロなども、その中に入ってきつつあるように思います。

世界を見回したとき、
僕らも知らないところにある「巨大企業」というのはいくつも存在しますが、
その存在がRespectされている会社、
というのはそうそう無いように思います。

Steve JobsもJohn Sculleyも、
Sonyのあらゆる部分に関心を持ち、Fascinateされ、盛田和夫さんから、そのものづくりのエッセンスを得ようと、
頻繁に通ったとあります。

今ではAppleはまさに絶好調であり、Sonyは苦闘していると言うことですが、
このような会社が日本にあったという事実は誇らしいことであると同時に、
なぜ日本にはそういった会社がいくつか誕生できたのか?
ということをちょっと考えていました。

自分が思ったのは、
何よりも、
日本のそういった会社が出し続けてきた製品に、世界がFascinateされたから、というように思います。

SonyもToyotaも、ひたすらに良い製品を出し続け、それによって世界に衝撃を与え続けた。
今、ユニクロも、新しいコンセプトを世の中に発信し続けている。

製品に内包されている、製品を通じて実現されている何かが、
それを受け取った人に、その作り手の何かを伝える。

そして、
そんな商品作りを可能にしている会社とはどういう会社なのか?
そこにみな関心を持って、
日本人の設計思想や経営思想に触れて感銘を受けた。

こういった会社が存在し、世界標準の中で製品を通じたメッセージを発信しつづけたことによって、
今の若い日本人世代も、海外において誰であっても一定のRespectを得られる、という点で、
計り知れないほどの恩恵を受けている。

Walkmanを除き、世界初、のものはそうそう無かったと思いますが、
それでもひたすら最先端分野を歩き続け、
理屈じゃなく、
他社を圧倒する性能の製品を量産し続けたこと、
当たり前のようでものすごくすごいことを、日本のメーカーはやり続けた。

このことは普通ではなくすごいことだし、
僕らの世代も、業界を問わず、
これからも先端分野にチャレンジし続け、新しいコンセプトを世の中に問い続けることで、
世界をFascinateするような商品を出し続けなければいけないな、と、
改めて思いました。

ファンキー

僕らは、ファンキーな仕事をしてるだろうか?
本気で世界を変えるつもりでファンキーになれているだろうか?


2年ほど前、
オライリーが、
価値のある仕事だけに注力せよ、
というメッセージを発信していた。


人によって価値というものは異なると思う。


自分にとってファンキーなもの、
それに猛進するのがいい。


それは、仕事そのものもそうだし、
仕事への取組み方にもある。


どのような仕事でも、
それが、
世の中の役に立てるものであり、
道を外れたようなものでない限り、
その人の気持ち次第でいくらでもファンキーにできる。


ただ、
ファンキーな仕事をするのに必要な資格は一つだけあるように思います。

それは、
世の中の可能性を、無償で信じる気持ちがあること。
自分という存在をフラットに見ていること。
自分自身への見返りを求めない、寧ろ、気にもならない、という、そんなマインド。


子供みたいですが、
そういう、
ファンキーな人、大好きだな!

宇宙の中の自分と、成長の意味

最近(?)の話ではないけど、
自分を成長させる、
成長、っていうキーワードに対して、
ものすごくアグレッシブ風な雰囲気がすごくある世の中になっていると思います。

自分が学生の頃は、
ぶっちゃけ、
あまり「自分を成長させよう」というキーワードを連呼している会社も学生も、
今ほどはいなかったように思います。

自分自身はといえば、
殆どそんなことを考えもせずにノホホンとしていました。
あの頃は、、、
そういえば、友達と宇宙について議論してました。

僕は宇宙の議論が好きなんだけど実態としては嫌いで。。。。
宇宙のことを考えると壁がどこにあるのかというところにしか落ち着かないじゃないですか?そして壁の向こうは?みたいな。。。。絶対答えが無いこの疑問、ちょっと考えただけでも心がザワザワしますね、それ考えたらもう、僕らがあくせく生きてることの意味自体が疑問に思えてしまう。未だに。


そんなもんだから、
成長とか、今はどうなのかな?
とふと思っていたのですが、
やっぱり大して考えてないw


自分が目指しているのは、
良いサービスや良い商品を世の中にたくさん出すこと。

それだけであって、
精神的な部分での自己成長とかあんまり期待している自分がいません。

大人になって、そんなに成長するもんでもないと思うし、
どこまでいっても、自分は自分なので。


あえていえば、
昔よりより良いサービスが考えて、
それをちゃんと形にできる自分がいたら、
それが自分にとっての成長なのかもしれない。

いや、
むしろそういうことであれば、ほんとに早くそうなりたい。
まだ全然、何もできていない自分がいて、
それはものすごく自分自身が歯がゆい。


どうなんだろうかと思います。
バカみたいな疑問ですが、成長って何だろう?


そういえば、
自分には一つだけそれに近い目標がありました。

「四十不惑」

です。


さすがに、
40ぐらいになって、こんな疑問を持ちたくないかなーと思うし、
一つのサービス、一つの事業と、死ぬまで一蓮托生の気持ちで没頭している自分がいてほしい。


もっと自分は、「成長」することをよく考えるべきなのか、
このまま、バカの一つ覚えみたいに進んでいくべきなのか?


まるで、ハムレットのような疑問をちょっとだけ自分に投げかけてみる、ウッドランドヒルズ@CAの夜。

ボディーブロー

いろいろな商売を見てきた中で一つ思うのは、
夢や希望と関係なく、
お金を生み出すことを目的とした商売は、
それがお金を生み出すがゆえに、
ボディーブローのように組織とそれに携わる人の健康を害していくということ。

お金を生み出すということはファンクションを創造しているということではあっても、
その人の夢を生み出しているかどうかが大事。

組織のため、チームのため、
という言葉は、
そういった、本来大事なこと、気持ちを封印させてしまうときがある。



事業の運営上、
Survivalすることが命題であれば、
ときにはそういった商売が必要になるときもあると思う。


が、
トップとしては、
そういう商売から、
いかに組織を離脱させるか、
そのための具体的な絵、ストーリーを描き、覚悟を決めて地道に一直線で進んでいけるかどうかが、
ものすごく大事なミッションだと思う。

しーん

一人になる時間になるとどうしても、
寂寥感うずまく今日このごろ。

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今まで書いたブログ記事の総数をカウントしてくれる機能があればいいのになと思う。

テクノロジーと女性

Twitterでハイテクについて考えていてふと思ったが、
アメリカでは、
テクノロジーは生活やビジネスを便利にし、コストを下げるためにあると捉えられている気がするが、
日本では、
テクノロジーはテクノロジー、産業が使うような高価なものとして捉えられている気がする。

なので(?)なのかどうか、
アメリカでは新規のテクノロジーやサービスを積極的に取り入れる土壌がやはり強い。
なのでベンチャーが育ちやすい。
その代わりダメなものはすぐに捨てられる。

いっぽう、
日本では、
テクノロジーオタクはたくさんいるし、日本人平均のテクノロジー理解度は低くないと思うわりには、
生活やビジネスにそれを取り入れる気運はあまり高くなく、
あきらかにそれを取り入れたほうが便利だったりコストが安くて済むと分かっていたとしても、
それは「どこかの誰か」に役立つもので、「自分」は今でいいや、という感じが強いと思う。
「お上に献上するもの」、のような感覚というか。



もしかすると、
「匠」な技術の真髄を追求することに技術の粋を見出してきた日本という文化が、
技術というものに対する日本人一般の心象を、非常にとっつきにくいもの、壁の高いもの、にしているのかもしれない。

と思うと、この心理的な壁を打ち崩すのは容易でないように思う。



が、低開発予算で新しい技術やサービスが次々と生み出すことが可能なIT時代に、
それではやはりもったいないし、
なによりも、
世間側に新しい技術を受け入れる土壌が無いと、
本当の意味で世の中に革新を起こすようなベンチャーがなかなか育ちにくい。


ただ、
こう思いながらよくよく身の回りを思い起こしてみると、
新技術や新サービスに対して実は非常に心理的ハードルが低いのが主婦なのかなと。

主婦は、生活に便利なものはすぐに理解してくれるので、技術そのものは分からなくても、
便利だったりコストが下がれば、納得して使ってくれる部分がある。と思う。

それどころかどんどん新しい使い方を工夫してくれたり。


というわけで、
日本の技術ベンチャーは、
旦那は後回しにし、主婦を攻めるのが一番いい、という仮説にたどり着きました。

BtoB系であっても、女性社長を攻めるのが良いのかも。


女性社長も、主婦も、決定権を持っているという点が、重要ですね シラー

Innovation orientedなのかMarket orientedなのか

Innovatationを目指すのなら、
信じる感覚に乗って誰にも構わず突き進む。


Marketに乗っていくなら、
具体的なデータや市場構造をしっかり調べる。


Innovationを目指しているのにデータや小理屈に依存していたり、
Marketに乗っていこうとしているのにデータをしっかり調査しきらずに勢いに依存していたりしたら、
それは、間違っている可能性大。